神のような崇高な人間を発見。

暑いしんどい死ぬ。今日は鞍馬山でまたしても樹木識別の実習。こんのどクソ暑い中往復820円の電車賃と拝観料160円払って行く位だからそれはそれはもう目から鱗が73枚落ちるようなスンバラシイ実習が待ち受けているのだろうという僕の純粋でそれ故にはかなく脆い幻想は、鞍馬天狗の見守る霊験あらたかな森の中で素粒子レベルにまで粉砕され貴船川に打ち捨てられました。ポイと。しかも引率の先生の歩くペースがこれまた遅く予定していた時刻を大幅に過ぎてやっと終了。怒りや悲しみ、やり切れない思いを抱えながらも、既に真鍮の棒と化した足を引きずってBOXに辿り着き、バンドで合わせ練習。

足がぁ。ぁぁ。あ。

ところで今日の朝いつもより一本遅い電車に乗ったんですが、お陰で貴重な体験をすることが出来ました。シリアスなドラマ等で、主人公が悩んでいる時に電車の中で優先座席に陣取りバカ騒ぎをしている女子高生達が出てきて、道徳の崩れ去った怠惰な現実が目には映りながらも心は深い悩みに入り込み敏感に揺れ動いている主人公、という対比的効果を描き出すシーンあると、僕は「今時こんなヤツらなかなかおらんちゅーに」とツッ込んでいたんですが、それに近い人種に属しておられると思われる方を拝見してしまったのでごさりまする。
その方は、まあちょい化粧が濃いもののさりとて特異な点は見掛け上は特に見当たらないいわゆる今風の女子大生で、友達とおぼしき二人の学生と扉の前にて楽しそうにオシャベリなさっておられました。そんなありふれた朝の電車内の風景の中で僕が立ちながら本を読んでいたところでした。突然、かつて聞いたことのないような奇妙な音が車両中に鳴り響いたのです。電車の穏やかな揺れにゆられて寝ていたサラリーマンや、ぼんやりと夏の朝の風景を窓越しに眺めていたOL、友達とのいつもの他愛も無い会話を楽しんでいた学生達が驚いてその音のした方向を見やると。
それは、かの方の笑い声だったのです。どうやら非常にご機嫌がよろしくおいでだったようで「こっちがメールブッチしたがってんの気づけっちゅうのってカンジーアッハハハハハ!!!」「翼(注:どうやらジャニーズの今井翼のことらしい)ってさー、悪いけどあたしの好みじゃないんだー、でもアンタよりカッコいいねんけどーワハハッハハハハガハッハハハ」と、まるで漫画に出てくるような様で手を叩きながら、電車の走行音を完全に打ち消すような大音量で笑っておられ、しかもその口調は大阪弁渋谷系ギャル語が入り混じって絶妙なハーモニーを醸し出すユニーク且つハイセンスなもので、もう隣の車両の乗客の視線までを独り占め。お付きの二人は一般人らしくその視線に耐え切れず次第に声がか細くなっていきましたが、この方はそのようなものを気にするような器の小さなお方ではありませんでした。
この三人組は途中の駅で下車したのですが、その崇高な笑い声と絶妙な手拍子は、彼らが電車を降りて階段を下っている間も僕の乗っていた電車の中まで届き、そして衰えることなき力強さで鳴り響いておりました。
よくこういう表現法でこういう描写をすると、「敢えて尊敬語を使うことで皮肉的に対象を貶めている」と受け取られがちなのですが、この文章はそんなつもりで書いているわけでは毛頭ありません。この人種の希少性を想い彼女の尊大な様態を見るにつけ、思いつく限りの尊敬語を並べることで彼女の気高く尊い様を恐れながらもこの僕が伝えることが出来れば、と必然的に思うようになっただけのことです。本当に。
朝から畏れ多くも素晴らしいモノを見て本当に幸せな気分になりました。思わず手を合わせざるを得なくなりました。
南無阿弥陀仏。無事成仏してください。