無負荷。

大学に入って以来、今が一番「漂っている」気がする。単位は足りている。研究室も決まっている。研究課題も与えられていない。すなわち課せられているものが何も無い状態。ヒマな時は研究室にいるが、先輩とだべるか本を読むかしかしていない。と言うわけで、場所が近いこともあってしばらくは積極的に一般教養の授業に出ようと思っている。
今日は二限目に専門の森林分析化学とセルロース化学に出た後、一般教養の環境経済・政策論基礎ゼミナールに顔を出してみた。洋書をグループ単位で読んできて前で発表するらしい。教科書が「Environmental Economics and Policy (The Addison-Wesley Series in Economics)」というヤツで、すごく勉強になりそうなのでこれは受けてみよう。
先輩から色々話を聞いていると、どうもウチの研究室は大まかに分けて超臨界班、ガス化班、バイオディーゼル班というのに分かれているらしい。ちなみに僕は超臨界をやりたいと思っている。正式に配属されてから三日目になるが、徐々に先輩達のキャラがつかめてきた。
セルロース化学の教授が楽しそうに語っていたことが僕が常日頃から思っていることと一緒だったので驚いた。それは、僕らはすごくいい時代に生まれたということ。僕らがあと50年ほど生きるとすれば、地球の未来についての1つの、しかし過去最大級の分岐点は過ぎているだろう。つまり僕らは、化石資源時代が、人類最後の期間となるのか、或いは未来永劫続くであろう循環型社会・定常化社会へ向けての単なる「生みの苦しみ」的期間だったのかについての大勢が判明するのを見届けられるわけだ。50年経って、未だにエネルギー面やマテリアル面で短期再生不能な化石資源に多くを依存しているとすれば、残念ながら僕らはシュメール文明やイースター島の人たちと同じ結末を迎えることになるのだろう。地球温暖化、水不足、食糧危機、森林減少などの解決策は、比較的同じような方向を向いている。故にこれが着実に進んでいるかどうかの見極めもしやすい。人類の叡智を結集して取り組んで、それでもダメだったら人類の敗北だ。「すまん、地球」と謝って滅びよう。
なんてことを書いてたら、日記の続きを書くのをすっかり忘れていた。
帰ってきてバイトへ。初授業のH君。喋ってばかりいたらすっかり時間がたってしまい、あわてて数学の授業に入ったが、結局45分もオーバーしてしまった。まあ最初だからいっか。