マルクスとハイエク。

しばらくヒマなので、社会科学研究会にでも参加して勉強しようと思い、新歓のプレ研究会というものに参加してみる。いわゆる自主ゼミである。テーマは「貿易のグローバル化と環境問題」。今日は半分ガイダンスみたいな感じで深い議論は出来なかったが、僕の感想としてはぶっちゃけた話「ここで議論しても仕方ないな」という印象だった。この研究会のメンバーの殆どは経済学部の学生なのだが、例えば環境負荷が商品・サービスの価格に反映される場合、途上国でほぼ確実に発生すると考えられる環境無配慮によるコスト削減に対する対処法として、経済学的にはモニタリング徹底とペナルティ負荷によって確率論的にコストを反映させるという手法しか出てこなかった。僕は常日頃から、これではまだ弱いと思っているのだ。つまりここでは、意図的か否かは知らないが既存の学問的な範囲を超えるような話はあまりしないらしい。
別に彼らがどうとか経済学がどうとかいう問題ではなくて、これではまだとても万全とは言えない以上は、では更なる手としてどうすればいいのだろうという疑問が必ず出てくると思うのだが。それは教育であったりメディアであったり、あるいは国際・国内を問わない企業評価機関であったりという話につながるだろう。もちろんそこには、「どういう世界を、社会を創りたいか」という根源的な話が背景として関わってくる。僕はこういう議論をしたかったのもあって参加してみたのだが、どうやらこの研究会は本当に「勉強会」という位置づけのようだ。
それならそれで、僕は以下のような理由でこの研究会の価値を評価したいと思う。この研究会は主に三つに分かれていて、毎年違ったテーマを勉強しているらしい。「現代社会研究会」では東アジアの今後について考え、「科学方法論研究会」ではハイエクの著作を読み、「『資本論』研究会」では文字通り『資本論』の輪読をするようだ。この三つのテーマは実に面白いと思った。メンバーの話から察するに偶然なのだろうが、リベラルと保守という対立軸を外して、今敢えて社会主義リバタリアニズムの本流を探るというのはとても興味深い。今後の東アジアを考える上でも何らかのヒントを与えてくれるかもしれない。あと、経済学者の卵たる(かもしれない)彼らに、地球システムの中の社会システムの中の経済システムという観点を持ってもらいたいなあという想いもある。
三つ共に出席するというのは極めて異例らしいが、そんだけヒマなんだ俺は。