反実仮想。

院試が間近に迫ってきたせいなのかもしれないけど、最近「もしこの世に環境問題がなかったら、或いは環境問題が完全に解決した世界に生まれていたら、僕は何をしていただろう」とかよく思う。
浪人生活が始まってから本を読み漁り、「環境」と出会い、環境を志して4年あまり。それは同時に、どんなアプローチで環境を扱うかという模索の時間でもあった。環境経済や環境政策生態学とかを覗き見していた時期もあったけど、何の因果かバイオマスエネルギーと巡り合って今の研究室に配属された。この世に環境問題があれば必ず僕はそれを志しただろうと確信できるけど、もしこの世に環境問題がなかったら。
さらにそれに加えて経済的な問題から自由だという条件が加わるとすれば、一つ「ありそうだな」と思うのは「ドラムの研究」。それも楽器の研究じゃなくて、演奏の方。「ドラミングの研究」と言った方がいいかもしれない。世に音楽理論なるものが出てからは結構時間が経っているが、未だにドラミングについて或る程度以上体系的に組み立てられた理論というのは見たことがない。もちろん、「ドラム」すなわち「打楽器」という名前が示すように、他の楽器と比べてその指し示す範囲が多いことが要因にあるだろう。音楽的意識を以って何かを叩けばそれがドラムになる。だから理論化するのは簡単じゃないと思う。でも、例えば10年という区切りをつけてドラムの変遷を見てみると、昔と比べて最近の単位変化が小さくなっているのは明らかだ。そろそろ理論化できる時期になってるんじゃないかと思う。だから世界中の「神」と呼ばれるドラマーたちのプレイを聴きまくって分析する、という自分がありそうといえばありそう。
あ、でも小さい頃から「研究者になりたい」とは思っていたけど、「世の役に立つ研究」っていう思いがそういえば強かったな。やっぱないかも。