音楽「作品」は分割不可。

住友生命のメロディをめぐって訴訟がおこっているらしい。随分前に作ったメロディを、ほんの一文字の音程だけ変えて最近CMに使ったということで、その元のメロディの作者が金を払えといっているらしい。まあ金というか音楽家としての誇りに関わる話なんだろう。こういうわずか2小節程度のメロディの著作権ともなるとどうも話が面白くない方向に行く。
法律的な解釈としてはこうなる可能性が高いらしい。すなわち、まず歌詞は社名そのものであるから当然その作曲者の作品ではないし、さらにメロディーもここまで短い以上は確率論的に言って独創性があるとは認められない。よって今回の作曲者の訴えは通らないだろう、と。
司法に判断を委ねる以上はなんらかの基準が必要なんだろうけど、こんなふうにおよそ音楽的とはいえない所で決められるのはなんだかなあ。「その社名そのままの歌詞にそのメロディをのせた」という独創性は認められんのかねえ。
大体、音楽を「作品として」扱う時にそれを分割してしまうような態度は、音楽に携わる者の端くれとしてはあまり嬉しくない。よく中途半端に音楽かじってるヤツが、音楽を「分割」して感想を聞かせてくれたりするけど、なにも興味深いところがないのだ。その人が「自分が分割して摘出した」と思っているそのフレーズやら歌詞やらは、「絵」の一部としての(つまり「分割」前の)フレーズやら歌詞やらが背負っていた、その作品の時間軸と空間軸で作られる平面に含まれる全ての要素を実は依然として背負ったままなのだ。そのことを自覚せずして「作品」への言及はありえない。
そもそも音楽を分割しようとする営みの目的はどちらかというと「学び」のためであって、それで得られたものは自分の中で消化するべきものだ。もちろんその背景を踏まえた上で。
ちゅーか、たかが数十万くらいケチケチせずに払えよ、と。