お疲れさん。

3月4日の午前2時前、ランは息を引き取りました。1月のアタマに急に体調が悪くなってから約2ヶ月の間、本当によく頑張ったと思います。不安と心配と疲れとで、多分酷い顔をしていたんであろう僕に励ましの言葉をくれた皆、本当にありがとうございました。
最後の夜は息が荒くなって、流動食も食べなくなったので、僕を含めて家族が皆、予感はしていたと思う。だから僕も両親の寝室にランを連れて行った後も胸騒ぎが収まらずに、何度も何度も様子を見に行った。ランが眠れなさそうだったので、20分くらいずっと抱っこしていたりしたら、1時頃から舌の色が薄くなってきて、眼も少しずつボ〜っとし出していたので、その場に居たみんながもうそれを悟った。両親が仕事に行っている間でもなく、僕がバイトに行ってる間でもなかったこと、そして周りがランの最後を知ってずっと見守れたこと、本当に計ったかのようなタイミングだった。兄夫妻は間に合わなかったけど、そのこともちゃんとランに告げることが出来た。
1時半頃から少しずつ意識が薄くなってきたようだった。僕らは、君は本当によく頑張った、だからもうこれ以上頑張らなくていい、という気持ちで、暖かくランの旅立ちを見守ることにした。不思議とそれほど涙も出なかった。母親がランを抱いて、その周りを囲って布団の上に座りながら、ランを撫でながら、ランが僕らの家族の仲間入りをした時から今までの懐かしい話を、ランに聴かせるかのように続けた。きっと、ランへの感謝の気持ちが溢れんばかりだったので、その気持ちを少しでも言葉に表してランに伝えたかったのだろう。話は尽きることは無かった。
2時前頃になって、それまで徐々に荒くなってきた息がさらに大きく深くなった。そして、家族みんなが「これが最後の息だ」と分かるような大きくて深い息をついた後、息をしなくなった。まるで、少し疲れてふぅとため息をついたかのようだった。その瞬間も僕らは泣くのではなく、ただ怖がりなランが不安じゃないように身体を撫でて温かい言葉をかけてそれを見守った。
死に顔は本当に安らかだった。犬のクセに人がそばを通っても全く気づかないほど熟睡していた時の顔そのもの。
ランがほとんど苦しまずに逝ったという事実が、僕らをどれだけ救ってくれたか計り知れない。ランの最期を考えるようになってから、それだけが僕らの心配事だった。僕らはランが息をひきとった後もランをそっと毛布に寝かして、朝までずっとランの思い出話をし続けた。時には涙が出てくることもあったけど、それ以上に、思い出すと笑ってしまうようなことが多かった。2ヶ月という闘病期間をランが設けてくれたお陰で、引き裂かれんばかりに悲しいはずのこの出来事を、少しずつ受け入れられるような状態に僕らをしてくれた。ランの死に方は、人をシアワセにする死に方だった。
ランの最期を見守っていた時、僕はランに心の底からの敬意を払っていた。ランと過ごす時間が長くなってくれば来るほど、僕の中のランの存在は大きくなってきたが、僕は、最期にしてランの完成した姿を目の当たりにした気がした。倒れても何度も持ち直し、死に際して怯えず、僕らを救う死に方をしたランは、最高にカッコよかった。最高に偉大だった。願わくば僕もお前のような生き方、そして死に方がしたいよ。ラン、素晴らしい手本を見せてくれてありがとう。僕ら家族全員が、健康に気をつけて生きていくことをランに誓う。
そして、本当にお疲れさん。