久しぶり。

夕方前くらいに、兄夫婦が麻雀セットを持って遊びに来た。久しぶりの麻雀だ。3年ぶり位かな。
高校時代は休憩時間になるたびにやってたなあ。最初は誰かが家からパイとシートを持って来てやってたけど、一回先生に見つかってからはいざというときに素早く隠せるカード麻雀やってたっけ。朝早くから学校に行って、来たやつから順番にメンバーに入れていき、授業開始が近づく頃にはギャラリーも一杯ついて大盛り上がり。人数が少ないときの為に二人麻雀の特別ルールとかも自分達で作ったりして。アホなことやってたなあ。
麻雀てのは基本的には完全に確率論で手を決めていくゲームで、アタマの体操にはすごく良い。自分の牌と全員の捨牌という限られた情報から、相手の力量と傾向を考慮に入れた上で推理を展開して、最も有効と考えられる戦法を採用していくわけだ。まず最初に、ごく基礎的なものとして既に定着している手法は誰か親切な人に聞いたりしてさっさと覚えてしまう。そしてその後何度も何度も経験を積んで分析を繰り返していくうちにこの推理法を自分で徐々に深度のあるものにしていく。この課程が実に面白い。もう1つ大事なのは推理をなるべく素早く展開する訓練。時間的制約がある上、皆殺気立っているのであまり長く考え込むと酷い目にあいかねない。
ギャンブルを確率論の成り立ちうる余地と運に委ねるしかない余地とのバランスで捉えた場合、ゲームに影響を及ぼしうる者全員が役を作りあがることを目指しているという前提を所与と見なしてよいそこらの麻雀は比較的確率論の成り立ちうる余地が大きい。故にやればやるほど面白くなってくる。そしてさらに麻雀を面白くさせるのは、ある程度の経験者同士で行われる麻雀では、そこに1つの社会が成り立っているという点。つまり、自分の振舞いが他者をどう予期させるのか、ということについての予期が参加者全員の振舞いに影響を及ぼすということ。こうして相当な複雑さを帯びる段階になると、いよいよ卓上は駆け引きの様相が濃くなり、臨機応変な分析・推理と最適化の能力を必要としてくる。ここに至って麻雀は至上のコミュニケーションゲームとなる。
てのはまあいいとして、それにしても久しぶりにやったから色々忘れまくり。高校時代は、大学に入ったら麻雀ばっかりやりそうと思ってたけど、全然やらんしなあ。うむむむ。