「そこ」に線を引く理由は?

世耕議員のブログで、今回の件に関して言及されている[http://blog.goo.ne.jp/newseko/e/d4eef9a1734447447e8f3facf8eb6db7]。

選挙の公示後に、候補者個人あるいは、比例区で党名を書いてもらう立場である政党の公式ホームページ(あるいはメルマガ)でその候補者や政党の選挙運動を告知する行為と、候補者ではない者(私も含む)が選挙運動や特定候補への投票の呼びかけにならないよう留意しながら個人的に作成しているブログとでは全く意味が異なる。
 前者は総務省も見解を示しているように、残念ながら公職選挙法上認められていない。(私は個人的には公選法を改正し、きちんと利用できるようにすべきだと考えているが、現在のところ認められていないのが現実である。)
 後者については特定の候補者名を表記せず、選挙運動になっていなければ問題はない。
 一部にこれらを同一視する見解があるが、そのような見解を認めてしまっては、今ネット上で展開されているこの選挙に関する自由な意見表明を制限することになる。私は候補者でない人物が、選挙運動や特定候補への投票の呼びかけにならないよう留意しながら作成するブログ等については、最大限自由が尊重されるべきだと考える。
 私がこのブログを中断してしまったら、他のブロガー皆さんの自由な意見表明を萎縮させてしまうことにもなりかねない。ブロガーの一人として、公選法を遵守しながらしっかり継続していきたい。(内容については弁護士には照会し、そのアドバイスも反映している。)

言ってることはこれまでと一緒だ。要は、僕の一昨日のエントリ[http://d.hatena.ne.jp/yeyehill/20050902/p]で挙げた(1)と(2)(3)との違いは大きく、公選法的に前者はOK、後者はダメってことだ。総務省の見解をそのまま踏襲している。(すいませんこれウソでした。)
「一部にこれらを同一視する見解があるが、そのような見解を認めてしまっては、今ネット上で展開されているこの選挙に関する自由な意見表明を制限することになる。」というのは明らかに話がおかしい。世耕議員のブログが公選法的に云々という時の要点は、「いくら選挙の候補者じゃないとはいえ、党に属している議員である以上はマズイんじゃないの?」てとこにある。これに対する反論になってない。あまりにおかしすぎてわざとやっているんじゃないかとすら思う。
それで「自分だってネット選挙運動を推進すべきたと考えている」みたいな話が続くんだけど、これまでの彼の態度を見ている限りとてもそれをすんなり受け入れる訳にはいかない。そもそも本気でネット選挙運動解禁を考えている人が、類推解釈である可能性が高いと思われる旧自治省の見解(宮台真司に依ればそもそもこれ自体が当時の自民党議員の圧力によるものらしいが)を、なぜ後生大事にしてるんだろうか。今回の「事件」で広く知れ渡ったように、公選法とネット選挙運動に関する司法判断はまだ一度もなされていない。それなのに堂々と「残念ながら公選法上認められていない」などとよくも平気で言えたもんだ。「私がこのブログを中断してしまったら、他のブロガー皆さんの自由な意見表明を萎縮させてしまうことにもなりかねない。」などという見た目の良い話を付け加えているとこなどは、かえって胡散臭さを増している気がする。
にもかかわらずネット選挙運動解禁を唱え、その一方で民主党の行動について総務省にチクる、という彼の行動は、いわゆる「物欲」絡みの利権に駆動された行動という可能性を排除するとすれば、「世のためにネット選挙運動を解禁するのだ」という公共心というよりも「『俺が』ネット選挙運動を解禁するのだ」という名誉欲が公共心に大きく勝っている結果なんじゃないだろうかとすら思う。公共心と名誉欲とがいい具合で混ざって原動力となるのは良いと思うんだけど、名誉欲が勝りすぎると「俺より先に勝手に動くんじゃねえ」という心理が芽生えてしまう。
最後の方の話は穿った見方かもしれないけど、やっぱり僕は世耕議員の「自分の線引きと総務省の線引きは一致しており、そしてそれが正しいのだ」という話はおかしいと思う。ネット選挙運動解禁を本気で目指してるのなら、せっかく「今回の選挙の候補者ではない」んだから、この事案について司法判断を仰ぐような行動を自らとって欲しいもんだ。