知らぬが仏なのか。

耐震偽装疑惑に始まり、建築士の「自殺」、なぜかあの日に行われた強制捜査ホリエモン元側近の「自殺」、そして今日の逮捕。マスコミを大いに賑わせている一連の事件で、全く真相に迫ろうとしない日本のマスコミの「ジャーナリズムごっこ」ぶりを、かねてからそれを主張していたホリエモンは図らずも示せたわけだ。マスコミも包含する日本の権力構造の歪みが今回の事件を複雑にしていて、どれがどっちの側についてるのかが簡単に判りづらくなっている。憶測や書き殴りのネタも多くて正直よくわからない。
事の真相は今の段階では僕らには結局判りえないし、推測しても仕方がないし、誰か公共心と勇気の溢れるジャーナリストなり知識人なりの情報発信に頼るしかない。ひょっとしたら半年や一年後に、一連の真相に迫る本などが発刊されるかもしれない。
ただ、ひとまずそういう話は置いておいて、今回の事件はこれまでの同様の事件と違う点がある。その真偽はともかくとして、なにかウラを匂わせるような情報。そういうものへのアクセスのしやすさが以前とは格段に上がっているということだ。
ネットの普及によって、これまでは比較的大きな思考コストや収集コスト、あるいは特別なコネクションを要した上で得られた情報に、ちょっとリンクを辿るだけで触れられるようになっている。それをキッカケに、例えばベンジャミン・フルフォードの著作などに目を通す人も多く出るだろう。そのお陰でマスコミの醜態ぶりが露呈される一方、どうにもこうにも不安になることもある。
今回様々な所でまことしやかに噂されている「闇の関与」という情報を、市民は一体どうやって消化するのだろう。
「闇を徹底的に暴き、糾弾し、排除せよ!」と声高に言うことも出来るだろう(その「糾弾するべき側」すらも「闇」の中にいる、という話はひとまず置いといて)。でも残念ながらこの国は、もし今猛スピードでそのような「浄化」が行われれば多分泥沼の闘争のなかで信じられないほどたくさんの血が流れて(それすら闇に葬られるかもしれないが)、そして、それが一瞬で終わるのか長期間に亘るのかは判らないが、間違いなく日本社会は、少なくとも僕ら世代が体験したことの無いような混沌とした状態に陥る。
こういったことは、そのような情報に触れ、少し考えれば誰でも行き着く話だと思う。闇があるのはイヤだけど、闇がないと回らない社会に、残念ながら今僕らは住んでしまっているということに気付く。そして多分、多くの人はなんともいえない暗鬱とした気分になるのではないだろうか。むしろ、これらの情報を単なる話のネタとして消費する人や、深みに触れたことそれ自体にある種の優位性を感じられる人の方が幸せに見えるかもしれない。あるいは、「そんなの知らなーい。私には関係ないしーみたいな?」「ウチらが楽しく生きれりゃそれで良くね?」という態度を貫ける人の方が幸せに見えることもあるだろう。映画「マトリックス」で描かれたように。
それは、とりわけ公共心から純粋に「社会を良くしたい」と思って活動している人たちにとって、大きな脱力感を伴うものなのかもしれない。彼らは打ちひしがれ、自分の活動に意義を見出せなくなるかもしれない。もう何が良くて何が悪いのか全く分からない、一体どうすればよいのだろう、と。
根源の倫理を提供しうる宗教的背景や抑圧への反抗という歴史的背景をあまり強く持たない日本人が、このような社会の不条理さを感じながらも前に進む。その際には、なんといってもやはり思想的教養を備えることが一つの強さを提供してくれる思う。
僕らの社会を含む世界全体は、時としてどうしようもなく不条理で、未規定で、不安定だ。そのことに対する徹底的な認識と思考を繰り広げてきた近代以降の思想に触れるならば、そして自分に向き合い徹底的に考え抜いたならば、前に一歩進む気概が強く残る気がする。
少なくとも社会は、おぼろげながらもそれよりはまだ分かり易い。


■とりあえず関連のリンク。あとで追加するかも。
 ・ビデオジャーナリスト神保哲生のブログ [http://www.jimbo.tv/column/000209.php
 ・カマヤンの虚業日記 [http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060121
 ・勝谷誠彦の××な日々。 [http://www.diary.ne.jp/user/31174/?
 ・渦状言論 [http://www.hirokiazuma.com/archives/000199.html
 ・弁護士山口貴士大いに語る [http://yama-ben.cocolog-nifty.com/ooinikataru/2006/01/post_80b6.html
 ・数学屋のメガネ [http://d.hatena.ne.jp/khideaki/20060124/1138067162