「非国民」のすすめ作者: 斎藤貴男出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2004/04/10メディア: 単行本 クリック: 4回この商品を含むブログ (13件) を見る

本書は、怒れるジャーナリストと言われる斉藤貴男氏が、今の日本がいかにおかしな方向に向かっているかという点について国民に知らしめ、皆で異論を唱えようという本である。お上の決めたことにおとなしく従う或いは何も反対しないという、統治権力にとって都合のいい「国民」ではなく、これに反抗しうる「非国民」となろうという理念だ。戦時の日本を連想させるこの「非国民」という単語が、まさしく当時の日本の犯していた過ちをまた繰り返しつつあるという現代日本へのメッセージを帯びており、タイトルとしては見事にキャッチーであると言える。

ちなみに社会ダーウィニズムとは、ダーウィン進化論の"自然淘汰・適者生存"という概念を、人間社会にそのまま当てはめた考え方である。そこで現実に高い社会的地位を占めている人間は進化した人間であると短絡し、社会全体をよりよく進歩させるためには彼らを優遇し、逆に社会的地位が低い"劣った人間"は抑制されなければならないとの主張が導かれる。世の中を支配しているつもりの自称エリート達はもちろん、まるで奴隷のような扱いを受けているのに怒りもせず、それどころか嬉々として彼らに服従したがる人々をも許せなくなっていく。

本書でこのように怒るべき問題として語られている内容は主に四つある。盗聴法や住期ネットに象徴されるような監視社会化、ゆとり教育による教育格差、政府・大企業の報道局と化したマスメディア、そして個人情報保護法による言論統制や反北朝鮮ムード、愛国心教育に象徴される戦争国家への道である。以下、掲載された取材内容が真実だという前提の下でレビューを書く。
凶悪犯罪ばかりをマスコミが報ずるがために国家権力への依存度が高まり、盗聴法もその流れの中で成立してしまった。盗聴法の欠陥に関しては様々な所で語られているのでここでは省略する。また、実質の利便性による豊かさへの志向よりもむしろ利便性そのものへの志向により、国家による監視の余地を与え得る個人情報監視網が整備された。具体的には住基ネットはもちろん、GPS機能を搭載した携帯電話やICチップによる様々なIT関連ビジネスなどがこれに当たる。国民は便利さにのみ目を奪われ、これに伴う巨大なリスクについては殆ど思考を詰めることをしなかった。特に住基ネットに関しては、いつの間にか住基ネットのセキュリティ論のみがマスコミで論じられるようになり、本来本質であるはずの住基ネットによる国民背番号制の是非について国民はほとんど何も考えなかった。これはマスコミの大罪であると言える。こういう問題点に関して色々な取材事実に基づいて指摘している点では、非常に良い本であると思う。
ゆとり教育批判は、残念ながらよくある左翼からの批判という域を出ないと思う。一部の勘違い人間の発言のみを取り上げて、ゆとり教育が実質はエリート教育になっているという批判は的外れである。昨日書いたように、今のゆとり教育はむしろエリート教育に関して欠陥があり、学問を志向しない人間に対するサポート的役割を果たしていると思う。学業に対する国民的共通認識が消滅した今、未だに全国民に均等な教育をすることが階層を生まない教育だという主張は時代遅れだと言える。「学力=人格」的な認識が著者の頭の中に残っているのではないか。ジャーナリストとして、この教育により教育された子供達への取材も成されていないのが残念である。
メディアに関する記述はさすがと言わざるを得ない。メディアを規制しようとする政府への批判として調査報道の意義を以下のように述べながら、

腐敗を自らオープンにする組織はあり得ませんから、そこで秘匿された事実を市民社会の立場から明るみに引きずり出し、大衆の判断に晒させる「調査報道」が求められてくるのです。 調査報道こそがジャーナリズムの最大にして本来あるべき役割なのだと言い換えても良いかもしれません。それどころか私自身は、ジャーナリズムとは調査報道を行うことが出来るから社会的に存在を許されているとさえ考えています。官公庁や企業などによる積極的な発表をそのまま伝えるだけでなら・・・なにも読者との間にワンクッション介在させなければならない理由はないからです。

その上で以下のように今のマスコミを批判する立場は、フリージャーナリストとして各地で実際に視聴者の意見をも聞いてきた著者の真髄と言えよう。

マスメディアには本気で権力のチェック機能たらんとする気も、いわんや真っ向から立ち向かう度胸もありはしない。それでいて個人情報保護法案のようなストレートな規制には抵抗し、相も変わらず新聞は市民の知る権利の代行者です式の伝統的物言いで高みから読者を説教したがるから、かえって嫌悪ばかりを招くのである。

このような視点が、上のゆとり教育批判や下の戦争国家日本批判にも生かされていれば、と思う。
社会的他者への不安を背景にした現在の風潮を、過去の学者達の「生活保守主義」や「私生活主義」という言葉を使いながら取材内容と照らし合わせて指摘している点は正しいと思う。そしてそれが監視社会化を導くと言うのはその通りである。しかしながらそれをすぐに戦争国家への道へとするのは明らかに論理的飛躍である。今のアジア主義大東亜共栄圏への野心とするのも頭を捻らざるを得ない。
以上のように内容そのものに関しては肯定できるところと出来ないところがあるし、精緻な論理があまり組み立てられてない点も多い。しかしながら飼い慣らされつつある国民の目を覚ますには一役も二役も買えそうな本であろう。それほど難解な言葉も使われていないので、スラスラ読めるのも一般受けしやすい要素と言える。また、既にこれらの問題点に気づいている人々にとっても、取材による裏づけを多く確認できるので、買いである。