冬休み突入。

いよいよ冬休み。ひとまず今日は急ピッチレポート作成により短期間で膨大に蓄積された睡眠不足を解消すべくひたすら寝る。結局起きたのは10時半。寝すぎで目が重い。
昼間は両親の買い物に付き合わされる。運転手兼荷物持ちである。途中で寄った家電店で、mp3プレイヤーとノートパソコンとコンポを物色する。全部買ったらおよそ25万円。さて学生であるうちに買うことが出来るのであろうか。いかんせん他に出費が多すぎる。ちょっと控えよう。特に食費。そろそろ真剣にmp3プレイヤー欲しくなってきた。自分へのお年玉として来月あたり買おうかな。ノートパソコンは残念ながらMacのが置いてなかった。そしてこのコンポが欲しくなる。ヤバイ。優先順位があ。
ホームセンターで小型のお風呂マットを買う。これは、電子ドラムのフットペダルの下に衝撃吸収剤として敷く為である。前に行ったドラムクリニックで、僕の質問に答えてくれた菅沼孝三氏がオススメしていた。確かに階下に響く音が随分軽減されるようだ。
結局帰ってきたのが3時くらい。今日はスタジオに行くのは諦める。従ってそのまま粛々と有機化学の勉強を開始する。こういう勉強は始めると止まらない。楽しい。疲れたら机のすぐ横にある電子ドラムを叩きまくってストレスを解消する。もちろん基礎練も。ああ、シアワセだ。
一段落したので、読書に勤しむ。好きなように時間使えるのは実に喜ばしきことだ。
それにしても、少し難解な本を読むたびに自分の知識的な背景の薄さを思い知らされる。中々ページが進まない。しかしながらこのことはドラムを叩いていても、専門の勉強をしていても、家庭教師をしていても感じることだ。常に自分のレベルより少し上のものを学び得ようとしているが故のことだろうと信じたい。従って相当な長期に渡ってこういう普遍の構造が繰り返されるのかもしれない。では何故このような永続的内部機関のような行為を繰り返すのだろう。
少し前までは「進歩」や「前進」への実感が、こういう行動様式におけるモチベーションを常に調達してくれるツールなのだと思っていたが、ここで思考的掘り下げを決着させるのは浅すぎると最近気づく。何故僕はこんなことをしているのだろうと考えた時に、この解答はあまりにも稚拙だ。
つまり、前を目指す理由が相対的位置後退を恐れるが故である、という可能性を論理的に排除しきれていなかった。この考え方・生き方は、個人的な単位では将来回復不可能な破綻を来たし得るし、もっと大きな観点から言えば、この思想が世界的な行き詰まり感を与える一方、一部の国ではこの行き詰まりを回避する為に仮想敵国を作り非人道的な振る舞いを続ける原因にも結びつくのではないか。今の教育が子供達に与える、極めて姑息な動機付けも結局これと同じだ。
要するに、前進が完全なる自発的欲求に依拠したものであり、それ故に内外の差異を維持する必要も特になくて、従って選択的自由から自己選択を経た行為の結果であるリスクと責任とに裏打ちされた大いなる達成感を得られるのだ。うん。なんて欲深い人間なんだ。
こんな当たり前のことをちゃんと考えてなかったなんで、まだまだダメだ俺。ひとまず寝よう。