丸激第205回「神保リポート 今ツバルに起きていること」の乱暴な要約と感想。

後半で論じられていたのは「全体としての方向付けをどうするのか」と「どういう社会を築くべきか」という点。前者に関しては「こうした方が得だよ」という風に持っていって、自然と根付かせる(しかもその立場についていつでも論議しあえる)という、これまで何度か僕も言っていたことなので省略して、後者について。
再生可能エネルギー利用やバイオマス収集を考えた場合、新世代の循環型社会はそのサイクルが分散型にならざるを得ない為に、小単位のコミュニティでの活動が重要となる。
他方、予防原則を日本の国民に根付かせることを考えた場合、現在の状態から考えるとメディアからの教育効果は期待できないが故に、「実感」から学ばざるを得ない。この「実感」は、温暖化によって引き起こされたと考え得る実際の自然災害からも与えられるが、その他にも身近な人間・場所・文化すなわちコミュニティが破壊されることへの恐れも挙げられる。つまり自分が中で生まれ育ったコミュニティの破壊可能性についての想像力がカギを握る。環境問題の結果というのは直接自分たちに跳ね返ってこないことが多い為、「自分の人生よりも長いもの」について考えなければならず、その目に見える対象としてはコミュニティが最も容易に想像力を掻き立て得るという訳だ。
要するに結局はほぼEUの理念と似た多重のレイヤー構造を築くべきだというのが大まかな宮台の主張。これに関しては相当に困難な道程が想像されるが、特に異論も無い。それよりも分かりやすく二方向から見事にコミュニティに持って行ったトコがさすがと感じた。