パンキョーだらけ。

二限目・三限目と連続して社会学基礎論。二限目は高橋由典氏。今日は完全なガイダンスだったのでなんともいえないが、社会学の概観として、主に秩序という観点からの「見方」によって社会学を定義づける辺りからして、社会学としてはかなり体系だった講義をしそうな感じ(本人は否定していたが)。授業では主に行為を取り扱うらしい。三限目は僕が最も好きな社会学者の一人である大澤真幸氏。今年は9.11テロとその背景を素材として「開かれた社会」「公共性」にまつわる問題点を抉り出す、とのこと。確か僕が一回生のときは今西錦司の研究やらを持ち出して本源的社会性と人間的社会性との差異を論じてたっけ。楽しみだ。今日は例によってイントロなので社会学についての説明がなされた(僕が一回生のときは無かったような)。身体レベルでの<見ているもの>と言語レベルでの「見ているもの」とがズレている状態を「抑圧状態」と見なして、他者の視点から抑圧されているものに証言を与えるもの、と彼は社会学を定義した。二者の共通点と相違点を考えるのもまた面白い。
あと学問一般ということで大澤が話してくれたのは、僕が考えるときに使っている言葉で言えば実存からの内発性という点についてだった。彼は実存を背景として起こる直感をコモンセンスと呼んで、これが学問の出発になるが故に社会的経験が極めて重要であると説いた。これはまさしくその通りであり、一人の人間の中に目を移せば、道の選択と言う時に実存がいかに重要であるかということにも言及することが出来る。個性化教育の副作用として、どうも僕が家庭教師を受け持つような子供達には「個性」や「自己実現」、時にはいわゆる「天職」をも実存とは無関係のところから自分に与えられるものとして捉えがちな面がある。そして核家族化・少子化等によって同時並行的に広まってきた精神的潔癖症宮台真司のいう「ノイズ耐性の低下」と相まって、思考停止状態・身動き不能状態となっているというのが僕の実感だ。この処方箋を今も色々と模索している最中だが、なかなか週に2時間程度会うだけでは簡単にいかない。
四限目は政治学基礎論に出たが、実にやる気のうせる内容だった。テーマとして民主主義と政治的安定を扱うと言う点はいいのだが、今日のイントロでの喋り口が。ずっと文献紹介をやっていたのだが、口調がファサファサしたものである上にその内容がもはや単なる紹介であるのに、1つについて十分以上も話し続けるのである。紹介するならするでもうちょっと歴史的文脈とかを紹介してくれたら良いのに。来週からの本番に期待しつつも、ダメだったら出るのやめようっと。