ネットワーク媒体としての中間集団。

2限目の教育学基礎論では江戸から明治までの教育をおさらいしていたが、ついでに現代教育にも触れていた。どうやら先生と僕とでは微妙な立場のズレがあるようだ。もうちょっと話を聞いてから、そのうちケンカを売りにいってみよう。
3限目の政治学入門は、どうにもこうにも興味が醒めそうな内容だった。来週は出ない可能盛大。
研究室で助手の先生に、僕の研究テーマがいつ決まるのかと聞いたところ、ゴールデンウィーク明けになりそうだとのこと。それまでは今のような生活が続くわけか。まあそれも悪くない。
その後先生から「どこまで研究に力を注ぎこめるか」みたいなことを聞かれて、僕の一番の興味はひょっとしたら研究そのものよりもむしろ人類と地球を救うことにあるのかも、みたいなことを半分マジで言ったら「ほー。じゃあ寝てられないな。」と突っ込まれた。いや、本当にいろんな意味で時間が足りないってことは身に染みて感じてるんですけどね、でも寝る時間くらい下さい。
んでそのやりとりを聞いていたD2の先輩から、後で部屋に二人だけになったときに「で、どうやって救うつもりなの?」と議論をふっかけられた。しばらく話してて、なんとなく今後構築すべき社会構造のキーワードが見えてきた。多分「そうした方が得」でしかも「それが暫定的であれ正論」で「正論かどうかについて触れようと思ったらいつでも誰でも触れられる」ということなんじゃないか。僕がseironでやってるような活動が三つ目のキーワードに関係するわけだ。ここに、意思決定の割り振り対象としてだけじゃなく、政治や社会へのアクセス経路としての中間集団の役割があるんじゃないか。だとすれば、こうやって非才な僕が分も弁えずこういう問題について色んな人と話すことは、鋭い分析によって問題意識を持っているのにどうにもアクセス手段が探しづらくて悶々としている優秀な人たちを繋げるネットワークとしての効力もある気がする。しかもseironはオンライン活動に主軸をおいているから、地理的制約もとっぱらうことができる。そう考えればまたやる気が出てくるってもんだ。
それにしてもこの研究室、なんか面白い。こんな議論が研究室でできるのはめちゃくちゃ嬉しいし、かと思えば音楽の話ではピアノ畑でクラシック好きのmid作曲家とリズムいじりに最大の重きを置く現役ドラマーという違う立場での面白い話が出来る。あと、何故か英会話の質を高めようってことで皆英語で喋ってるし。なんかワクワクしてきた。
議論が予想以上に長引いてしまいドラムレッスンに少し遅刻。最近は、ちょっと面白い基礎練をやっている。まず両手両足を一緒に8分のタイミングで叩いて、師匠の合図があったら、例えば右手だけを4分のタイミングにするというもの。完全に「赤挙げて、白下げて」。切り替える間隔が段々小さくなってきて、笑えるくらい頭と体がこんがらがる。
個人のメニューではスティーヴ・ガッドが広めたと言うこのパターンを練習していた。これは自分でやってて悦に入れるくらいカッコいい。やはりガッドは偉大だ。是非完璧にマスターしよう。