書き初め。

年末年始は普段よりもまとまった時間が取れたので、映画を7本ほど観た。劇場で「ALWAYS 続・三丁目の夕日」と「エンジェル」、DVDで「姑獲鳥の夏」と「ゲド戦記」と「マルコヴィッチの穴」と「それでもボクはやってない」と「親切なクムジャさん」。大雑把に点数をつけると、それぞれ50点、60点、5点、2点、80点、70点、90点てところか。
「それでも〜」は非常に丁寧に問題点を抽出しようとしているんだけど、「裁判官や警察も悪気があってやってるわけではない」という趣旨の台詞が何度か出てきながらも、それが絵として描かれなかったのが残念。ただし「主人公は100%無実」という真実を観客に装備させてからの裁判劇なので、「裁判は真実がどうであるかを争う場ではない」という主題を単純化して伝えることには成功している。しかしながら、作品中でも言及される「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の大原則を、なぜそれが大原則でなければならないのかという点から描くことには失敗していると思う。僕としてはその点をもっと重視した上で、事実認定の杜撰さがどういう帰結をもたらすのかという風にもっていってほしかった。それに対して「クムジャさん」は秀逸な作品だった。パクチャヌク監督の、もつれもつれての不条理さは健在で、市民社会的な審判が正義から狂気を帯びる様を見事に描いていた。
「続三丁目」は、役者が本当に巧いのが救いだけど、昔のいいトコ取りのほっこり物語を詰め込みすぎだ。前作では「まあこういう映画もたまにはいいかな」と思ったけど、さすがに今作はやりすぎかつ不自然で、だからこそいいトコ取りなのが目に付いてしまう。ほっこり予定調和といった感じか。結果としてほっこりさすら提供できなくなっている。
「エンジェル」は、主人公が輝きを求める様はなかなか病的でいいのだけど、過去を塗り替えてしまうシーンをこそ、もっと病的な形で演出して欲しかった。塗り替えた後の主人公だけでなく、塗り替え中の主人公が欲しかった。「マルコヴィッチ」はもっとうまくて、他人への侵入・操作に狂う人々が非常に気持ち悪かった。これに対して、そういう人々の欲望をうまく実際の自己益へとつなげたしたたかさも怖いものがあって素晴らしかった。
「姑獲鳥」はただの自己満足ダイジェスト、「ゲド戦記」は矛盾と不自然さに満ち溢れたビックリ映画。


こんな感じで適当に今年もブログを書いていきますので宜しくお願い致します。