京都議定書目標達成計画

28日、京都議定書目標達成計画が閣議決定されました。seironのニュースにも書くつもりですが、いち早くここでその内容について検討したいと思います。
まずは大まかな話から。2002年度の温室効果ガス排出量が1990年より7.6%増だったことから、義務達成の為には13.6%の排出削減が必要になる。同計画の中では、このうち1.6%は現状対策のままで削減できるとし、6.5%を更なる対策で減らし、3.9%を吸収源で補いつつ残りの1.6%に京都メカニズム(以下「京メカ」)を適用することを目指している。僕は以前の記事で「当初よりも大幅に温室効果ガス排出量が増加していたことから、京メカの大幅な使用増は避けられない」と書いたが、この計画では吸収源の3.9%、京メカの1.6%ともに2002年の温暖化対策推進大綱と変わっていない。
これだけを見れば「国内の実質排出量削減を重視」という方針に賞賛を送りたくなるかもしれないが、その国内対策が余りにも適当で中身が無い、というのが僕の感想だ。
温暖化対策の主軸となる、エネルギー起源の二酸化炭素排出減をどう遂行するのか。各部門に削減目標が与えられているが、現状対策よりも更なる削減枠として考えられているのが業務その他部門と家庭部門だ。確かにこれらの部門の2002年度での排出量は基準年と比べて大幅に増大しているため、ここでの削減が1つの大きな要となることは疑う余地の無いところである。では具体的にどう減らすのかと言うと、その殆どが企業や家庭の自主的な環境配慮行動を推進していく、といった類のもの。環境税に関しては「国民、事業者などの理解と協力を得るように努めながら、真摯に総合的な検討を進めていくべき課題である」、国内排出量取引については「総合的に検討していくべき課題である」などとしてその導入を事実上先送りし、しかも具体的な方策のカケラも無い記述に留まっている。
前々から言っているが、今の日本の、とりわけ消費者レベルのマインドからして、「自主的行動を期待する」という趣旨の環境対策がどれほど実効性の無いものか全くわかっていない。実際にいろんな人と接してみてわかるのが、「何も知らされていない」という驚愕の事実である。「環境をどうでもいいと思っている」というよりは「考える契機をあまり与えられていない」というのが実情である。大手メディアからはほとんど重要な情報も流れない、国は相変わらず産業界に配慮ばかりし続ける、といった状況の中で、「環境が大事そうだけどよくわからない」というのが皆の実感ではないか。もちろん自主的に情報を得る意識を持つべきだといういうのは正論だが、国の行動計画が実情を踏まえず理想論を繰り広げていては話にならない。
今の多くの国民の意識は、例えば電器店で商品を選ぶときに、ほとんど同性能でほぼ同じ価格ならば、環境にやさしいほうを選ぶ、という程度のものである。今はその是非と問うている場合ではなく、だからこそ環境税を導入して環境配慮コストをキャンセルした価格競争を実現すべきだというのだ。さらに、多方面での環境税導入によって国民レベルで「そうした方が得」な社会となれば、必然的に環境について考える契機が訪れるのである。ここからが本当の意味での「国を挙げての環境対策」になるのであって、現段階では国がこれを主導してやらなければ何も始まらない。消費者レベルで「環境配慮しないほうが楽で得」な社会のなかで、一体何ほどのものを期待するというのか。国民意識の向上をアテにして待っている場合ではない、ということだ。
環境税は、森林整備や京メカの財源となる。同計画が掲げる「森林吸収源により3.9%減」も、今のままでは全く実現不可能な夢に近い。多くの森林が荒れ放題でしかも人手不足、という大きな問題を抱える日本の現状では、これを実現する為にはかなりの大きな資金が必要となる。環境税も導入せずに一体どこからこの資金をまかなうつもりなのだろう。京メカに至っては、その活用方法は極めて抽象的な表現に留めてある。
なんだか文句ばっかりになってしまいましたが、この程度の計画じゃとても実現は無理、というのが僕の結論です。もっといいのを作ってもらわないと。

■参考■
 ・「京都議定書目標達成計画」本文[PDF]
 ・「京都議定書目標達成計画」別表[PDF]
 ・MSN-Mainichi INTERACTIVE「京都議定書:目標達成計画を閣議決定 温暖化防止、国民運動に」