世耕議員の反応。

世耕議員のブログで更に今回の件について言及されている[http://blog.goo.ne.jp/newseko/e/2a797592ae64820aa975011c3c8767c9]。

さて、まだ分かっていない人がいるようなので、出張、会議、睡眠不足でふらふらなのだが一言。頑張って書こう。
 実例を挙げれば違いが分かっていただけるだろうか。
 ケースA:A党公式ホームページ(またはメルマガ)で、「○○党首が明日××選挙区の△△駅前ロータリーで街頭演説を行うので、是非訴えを聞きに来て下さい。」と呼びかけるケース。
 ケースB:B参議院議員が個人のブログで「遊説を終えた総裁と今後の日程の打ち合わせ」と書き込むケース。
 私が問題を指摘したのはケースA。私のブログはケースBにあたる。
 ケースAは公認候補を擁立し、かつ比例で党名を書いてもらう政党自身による選挙運動そのものであることは明白だ。
 ケースBでは筆者は衆議院選の候補者ではないことに加え、特定の候補者や選挙区が明示されておらず、投票や支援、理解の呼びかけも行われていないので、選挙運動には全くあたらない。公職選挙法の規制の域外である。
 中には「ケースBが公選法の規制外なら、ケースAでホームページの看板をC参議院議員の個人名に変えればよいのか?」というおかしな議論をしている人がいるが、看板だけの問題ではなく、書かれている内容も重要なのだということを指摘しておく。9月3日の日記に明確に書いているように、筆者が「候補者でない者」であることに加えて、「選挙運動や特定候補への投票の呼びかけにならない」ことが前提である。
 ちなみに公示後の私のブログについては、総務省と党コンプライアンス室の弁護士の助言を受けた上で書き込んでおり、全く問題はない。また某政党がメルマガ(公示後なのにまた発行している!)で書いているような「警告」を私のブログに関して総務省から受けた事実はないことを明らかにしておく。

「私の線引きと総務省の線引きは一致しており、そしてそれが正しいのだ!」という内容。「私だってネット選挙運動推進派だ」という主張がなくなったものの、これまでと同じ内容だ。


■機能なき「線引き」論の掛け合いはどーでもよい
さて、多くの人がそうであるように、以前のコメントで言ったとおり[http://d.hatena.ne.jp/yeyehill/20050901/p2#c1125666481]僕は世耕議員の「違法だと称する振る舞い」と「自分の振る舞い」とが矛盾しているかどうかについては、少なくとも今の状況下では興味がない。どうせ「ここに線があるのだ!」「いや、こっちに線があるのだ!」で終わるし、司法判断が全くない以上、「『その線引き』に固執する相手」を説得可能あるいは論破可能なほどの根拠を挙げることは難しいと思われるからだ。*1 *2
だから僕は、2日のエントリ[http://d.hatena.ne.jp/yeyehill/20050902/p]で言ったように総務省と彼の線引きの「一致」が偶然の産物ではないと判断し*3、世耕議員は「自分の線引きと総務省の線引きとが一致している」という確信と裏づけを持っているからこそ民主党の行動を総務省にチクッたのだろうと思った[http://d.hatena.ne.jp/yeyehill/20050903/p2]。そして上の彼の記事を読む限り実際にそうだった。


■世耕議員の思惑を考えたい
では僕の疑問は何か。
それは、なぜ世耕議員は今回総務省と一緒にここに線を引いたのか、というところにある。
この疑問は2つの疑問に分けられる。それはつまり、「なぜ『ここ』に引いたのか」というものと「なぜ『総務省と一緒に』引いたのか」というものである*4


■なぜ「ここ」?
今回の世耕議員及び総務省の「線引き」の目新しい点は、「メルマガ配布」までを「抵触」範囲内に収めたことだ。
2日のエントリで書いたとおり[http://d.hatena.ne.jp/yeyehill/20050902/p]、以前の総務省の線引きにはメルマガ配布に関する言及はなかった(さきがけからの質問状に無かったのだから当たり前といえば当たり前だが)。当時の総務省の見解はあくまで、ディスプレイ上の文字が公選法上の「文書図画」に、候補者の遊説日程などの告知が公選法上の「選挙運動」に、ウェブサイトでの告知が公選法上の「頒布」に、それぞれ該当するというものだった。ウェブサイトでの告知とメールマガジンの配布との間に関しては、そこに線があるのか無いのかについての判断基準がこれまでは無かった。が、今回の件で、少なくともウェブサイトでの告知とメールマガジンの配布との間には(総務省的には)線が無い、ということになった。
「自分のブログは大丈夫だろう」というのと「あいつのメルマガ配布はダメだろう」というのとでは全く態度&意味が異なる。今回の世耕議員の記事では、ほとんど前者の正当性ばかりが主張されている。僕はむしろ、世耕議員がなぜ後者を主張するのか知りたいのだ。


■「公平であるべし」だけじゃ正当化不可能
前者だけなら、「なんとか隙間をぬってウェブ上で議員活動を」という態度として解釈できるし、ネット選挙運動推進派と称する彼のこれまでの主張との整合性もとれる。山本一太議員の態度もそんな感じだ。しかし後者の態度から出た行為は、わざわざメルマガ配布を「抵触」範囲内に入れるという機能を伴わせた。少なくともそれがネット選挙運動解禁に寄与するものでないことは明らかだ。
では何故彼はわざわざこんなことをしたか。
彼は「公平なルールの適用を求めている」と言い[http://blog.goo.ne.jp/newseko/e/f0e9e19e0f56aa4d682cb97afbbd3fce]、その根拠として「選挙にネットが利用できない現状」だの「法律が認めていない」だのと言う。が、もはや繰り返すのも憚られるが、司法判断は未だ無い上、仮に総務省の見解を尊重するとしても、メルマガ配布についてはこれまでは全く「判断」が無かったのである。
「わざわざ」メルマガ配布を『抵触』範囲内に入れるという今回の行動を正当化するものとして充分な論拠とは到底思えない。


■なぜ「総務省と一緒に」?
そしてさらにこれ以前の問題として不思議なことに、「なぜ彼がここまで総務省(あるいは旧自治省)の見解を重視するのか」というものが挙げられる。極めて不可解なことに、彼は以前の日記で「残念ながら公職選挙法上認められていない」という明らかにおかしいことまで言っている[http://blog.goo.ne.jp/newseko/e/d4eef9a1734447447e8f3facf8eb6db7]。
理由として三つのものが考えられる。
一つは「総務省(あるいは旧自治省)の見解は公選法の解釈として確かに正しい、と自分としても思っているから」というもの、もう一つは「総務省(あるいは旧自治省)の見解に逆らえないから」というもの、最後の一つは「総務省という役所を利用して民主党をおとしめようと思ったから」というものだ。
後ろの二つは批判の対象となると予想されるから、彼としては一番最初の理由を掲げるだろう。そうでないと、「公平であるべき」という言葉も正当化されない。もちろん本音もそうであるかもしれない。そんなことは僕には分からない。


■まだ納得がいかない僕
ここで話を整理する。「旧自治省のかつての見解は正しかった」というのと「総務省のこれからの見解は正しいだろう」というのとは違う。
2つ前の段落で言ったことと同じようなことになるかもしれないが、「旧自治省の見解は正しかった」というだけならわかる。そこから先は「線引き」論になるので掘り下げても意味が無い。しかし今回の彼の行動は、自分のブログの内容について逐一総務省と相談し、民主党の行為について総務省の見解を伺い、さらに民主党を批判する、というものだった。
この行為を、世耕議員が「総務省の見解は公選法の解釈として確かに正しい」と自分としても思っている、という話の延長で考えれば、どのように解釈され得るか。


民主党批判の意図
まず総務省や弁護士と相談していることに対しては、「少なくとも自分よりもより専門家に近い総務省や弁護士の方が正当な判断を下してくれると思ったから」あるいは「相談することでより正しい見解が生まれると思ったから」という、一応まっとうな理由が成り立つ(それでも「ネット選挙運動解禁を本気で目指してんなら司法判断に委ねろ」という批判は免れないだろうけど)。
とすると、彼の、メルマガ配布についての民主党批判は、総務省や弁護士との相談の結果を踏まえたものなのではないだろうか。自分が総務省と相談している時点で、おそらく幾度かは修正を促されたであろう彼の判断のある種の危うさを弁えているようなものであり、民主党を批判するための確信が欲しいと考えるだろうと思われる。
であるとすれば、彼の行動は以下のようだったということになる。
民主党のやってることは公選法的にアヤシイんじゃなかろうか」思う
    ↓
総務省や弁護士に相談
    ↓
「抵触するかも」という結論が出る
    ↓
世耕議員が民主党批判、総務省民主党に「警告」


■なーんだそうだったのか
すると、彼の民主党批判は「キミたちもちゃんと他の人に相談しなさい」という批判として回収される。総務省民主党への「警告」を促したのも、民主党への戒めとして好意的に解釈できる。
それなら正直に「民主党好きです」と言えばいいのに。
はて、どこがおかしいんでしょうね?
疲れた。もうこの辺でいいかな。


■ネット選挙運動解禁へ
で、彼がそうやって総務省と自分の線引きの正しさを主張すればするほど、現行法と時代とのギャップの激しさが世に知れることになる。これはとても有難い。
誰かさんの思惑通りなんじゃないの?とか思う。


■そして最後に大きな疑問、あるいは民主党の手ぬるさ
で、今気づいたんだけど、民主党の質問状にも総務省からの回答にも「メルマガ配布」について一言も言及されてないんだけど、なんで?
民主党がそこを突き詰めた上で「ヤツらは『示し合わせて』わざわざ『ここ』に線を引きやがった」て煽ったらもっと盛り上がったのにね。最近は「与党の矛盾の追及」にはあんまり(政局を動かすほど)みんなついてこないからなあ。

*1:もちろん、裁判になった時に、どういう線が引かれるのか、ということについては少なからず興味がある。

*2:あと、自民党の過去の行為までが「警告」の対象となったことについては逆に弁解の余地もないことなので、これについても今回は考えないでおこうと思う。

*3:総務省の回答については当時はまだあくまで「予想」だったが

*4:ちなみに「なぜ『今回』引いたのか」という疑問について考えるならば「焦り」という要素が引き出され得るのだろうが、「焦り」があるとすればそれは既に広く知られていることの表出であり単なる「確認」に終わるので、それについても僕はあんまし興味がない。