若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か作者: 赤木智弘出版社/メーカー: 双風舎発売日: 2007/10/25メディア: 単行本購入: 11人 クリック: 354回この商品を含むブログ (109件) を見る

なんだろう。この本を読み終えた時、いわゆる論説を読んだ時とは全く違う感覚を覚えた。興醒めなスタジオトークが全く入らないという意味で純粋な、問題を忠実・鮮明な形で炙り出しているという意味で良質な、そんなドキュメンタリーを見た直後のような気持ちになった。
読んだ直後で雑感しか書けないけど、ちょっと書いてみたくなった。
団塊Jr世代の就職氷河期への「偶然」の遭遇、労働者の流動性低減を導く団塊世代俗流若者論、国内貧困を隠匿する自己の機能に鈍感な左派の平等・平和論、という三要素の揃い踏みにより、普通に努力して普通に生活する道から必然的に締め出されたまま、浮上する機会も希望も見出せずにそのうち首を吊るしかない以上、戦争時での国内混乱による浮上可能性の発生に賭けた方がまだマシ。著者は嫌がるだろうが、仕方なく要約するならそんな本だ。
本書の中で紹介されている論文を含め、色々と個別の議論で反論する余地はある。論説である以上、もちろんそのような反論がされてしかるべきだとは思う。ただ、それではこの本が出たことの意味を掬い取ることは果たせないような気がする。
この本の意味は、「こういう状況でこういう風に考えてしまう自分がいる」ということを表現したその事実性にあると僕は考える(著者的には収入源としてのものが第一だろうが、まあそれは置いておいて)。「論座」に掲載された論文のタイトル(「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。)が自己紹介調になっている点を見ても、やはりそう思ってしまう。だから、「そういう風に考えることは○○という点で誤っている!」と批判したところで、自己紹介としての意味は些かも揺らぐことはない。大事なのは、棲み分けと島宇宙化に伴う断絶によって、安定した生活を送る連中からは普段全く目に見えないところに居る自分を、そのまままるごと紹介した、ということなのだろう。
著者の論文には著名人からのたくさんの反響があった。本書の中で紹介されているような相変わらず鈍感な反応は論外として、一部の肯定的反応に対して「安定した生活を送ってるヤツが何を偉そうに」と批判を加えるのもまた余り意味がないと思う。著者の言うように「それぞれの立場」で、彼の自己紹介を受け止め、彼らを救う方法を考えるなりすればいいんじゃなかろうか。
欲を言えば、本のタイトルを、凄まじきインパクトを持つ件の論文タイトルと同じものにして欲しかった、とは思う。どうでもいいか。